2度目のロンドン同時爆破テロ攻撃と通勤途中の爆弾騒ぎ
私の方は昨日は影響を受けませんでしたが、今朝は乗っていたバスで爆弾騒ぎがありました。騒ぎを引き起こした男性は外見は中国系で年は20代後半から30代前半位でした。私の次のバス停留所から乗車し、2階席の一番前の右側の席にかけていました。彼は中くらいのサイズの、でも何やら重そうにぎっしり詰まったリュックサックを自分の隣の空席に置いていました。朝の通勤ラッシュ時なのでバスはどんどん混んで来ているのに最終的に1人の通勤客に「そこ座ってもいいですか、荷物どかして貰えませんか?」と声をかけられるまで2席を占領していました。
会社近くのバス停留所で降車するために階段を下りて行ったところ、後ろから誰か他の人も降りて来る足音が聞こえました。バスの中程にある降車専用のドアを出ようとすると目の前に中国系の男性が立っており、鍵か何か小さいものを私の後ろから降りてきたあの先頭に座っていた男性に渡していました。その時です。私の後ろからわらわらと人が降車して来たのは。「爆弾だ!」と声がしたので私も走ってバスから離れました。安全と思われる距離まで行ってから振り返ってみると、満員だったバスは半分位空になっていてバスの運転手も何事かと運転席から出てくる所でした。降車口付近に居た問題の男性も人の波に押されて外に押し出されてしまっていて、彼が手ぶらなのが見えました。
あろうことかその男性は、あの重そうなリュックサックを2階席に置いたまま下に来てしまったのです。7月7日の爆発、そしてつい昨日の21日の爆発未遂の直後です。置き去りにされたリュックサックを見て通勤客達が「これには爆弾が入っているのか?」と思っても当然です。その男性は事前に連絡を取って待ち受けていた友達から小物を受け取るために降車口の所に来ただけで降りるつもりはなかったらしいのです。ひょっとしたら今まで何度もやっていた事なのかもしれません。リュックサックは単に重いからまたは席の確保のために2階に残してきたのでしょう。本人はきょとんとしていましたが、周りの乗客に問いつめられて叱られているようでした。すぐに誤解は解けて、騒ぎの張本人も他の乗客達もバスに戻りやがてバスは出発して行きました。
誰にでもうっかりとかボーっとしていてという事はありますが、今ロンドンが置かれている状況を考えればこの男性の取った行動はいくらなんでも不注意というか、無神経過ぎます。今日の午前中にもまたテロ関係の事件がありました。南ロンドンの地下鉄駅で7月7日の自爆テロ関連の容疑者が私服警官に追いかけられた後に地下鉄車両内で射殺されたようです落ち着かない日々が続いています。とは言っても例え危ないからと家にずっと籠っても居られません。メディアでは「テロの発生にも関わらずロンドン市民は通常通りに生活している。これは不屈の精神の表明かそれとも他に選択の余地がないからか。」などと言っていますが、もちろん大多数の人が後者に決まっているじゃないですか!出勤しないとお給料貰えないもの。
例え恵まれた立場にあって家に籠る選択ができたとしても、そんな恐怖に雁字搦めになった生活も面白ありません。実は夫は昨夜シティーに勤める友人と久しぶりに会って飲む約束をしていました。私としてはまっすぐ家に帰って来て欲しかったけど、会うのを辞めてとは言いませんでした。夫の友人も家庭を持っていて最近はなかなか会えず、今回の約束をとても楽しみにしていたのを知っていたからです。夫の友人の奥さんは妊娠4ヵ月なのでひょっとしたら彼女は余計不安に思って今回はキャンセルしてと言うかも知れないと予想していましたが、結局夫の友人も奥さんの同意をとりつけました。2人とも地下鉄は使わずに明白なテロのターゲットであるシティーから離れるためにタワーブリッジを歩いて渡ってテムズ河南岸のパブで飲んだ後、何事も無く帰宅しました。
パリで週末散歩
いつもは結婚記念日って「もうすぐだね~。」なんて言いつつも当日はすっかり忘れていたりするのです。でも結婚7周年の今年は夫が私に内緒で週末のパリ旅行を予約していました。最初は「ワイト島に行く。」と言って私をウォータールー駅まで連れて行ってそこでジャジャ~ンとユーロスターの切符を見せるつもりだったそうです。しかし彼の両親にロンドンまで来て貰って私達が旅行で不在の間の娘の世話をお願いする関係上、秘密にはしておけず少し早めに教えてくれました。
素直に嬉しかったです。少し前に「夏の間に近場のヨーロッパの街にでも行こうか?」、「結婚記念日も近いから15日の金曜日は有給を取ろうよ。木曜の夜から両親が遊びに来るから香蓮は2人に預けて2人で良いレストランに記念の食事をしに行こう。」などと、今思えば伏線はあったのですが夫の計画には全然気がつきませんでした。切符やホテルと保険の書類も皆自分の職場に届く様にしてあったようです。
旅行中3日間、毎日お天気には大変恵まれました。家にカーディガンを忘れて出発したのだけど、気温が30度ほどまで上がる毎日で、持って来る必要は全くありませんでした。1日目はラ・ディフェンスと凱旋門周辺、2日目はボーローニュの森とシテ島付近へ、3日目はサン・マルタン運河とビュット・ショーモン公園に行きました。
ラ・ディフェンスは私は1992 年の春に行って以来、夫は初めての訪問で、凱旋門の側からバスに乗って行きました。地下鉄の駅前で降車後地上に出てラ・ディフェンスの建物に向かい石の広場を歩いて行きましたが、凄まじい照り返しで暑いやら眩しいやら。普段の生活ではサングラスなど必要ない私ですが、この時はさすがに眼が痛くなりました。真夏のローマやトルコで石造りの遺跡を見学した時以来です、眼が痛くなったのは。
同じ80年代後半に再開発された地域という事で、ロンドンのカナリーウォーフみたいになっているかなと思って行ったけど全然違いました。完成当初は良かったのかも知れないけど、それ以来メインテナンスに十分な予算がついていない様子が見てとれました。ラ・ディフェンスの白い外壁も手前の階段も掃除が行き届いていなくて汚かったし、外装の一部があちこち欠けているのも放置してありました。
それでも平日なのに観光客と勤め人以上に人通りがあるような気がしたのですが、それは買い物客でした。広場に面してかなり大きなショッピングセンターがあったのです。私が良く使うフランスの洋服の通信販売の『ラ・レドゥット』のお店がありました。カタログで見た商品が店に一斉に並んでいる様子は面白かったです。ロクテーヌという香り関連の商品を売るお店でおみやげを少し買った後はさっさと街中に戻りました。
2日目は朝方夫の具合が悪かったのでボーローニュの森を少し歩いた後はバスに乗って景色を楽しみながら街中に戻り、その後は早めにホテルに帰って休憩。夕方には夫の体調も回復したのでホテル近くのバーで食前酒を飲んだ後事前に通りかかって行こうと決めていたレストランに入りました。バーとレストランの中間といった感じでソファーがたくさんあって照明も暗めの居心地良さそうな所だったのです。
他の人が食べているのを見た鮭の刺身(さくの外側に油を塗り胡麻をまぶしてからスライスしてある。)とおつまみの盛り合わせ(焼き鳥、エビの天ぷらなどの揚げ物を中心に数種類)、ガスパチョをワインと一緒に頂きました。デザートにはティラミス、食後にはコーヒーを注文しました。そういえば突出しのオリーブも塩辛過ぎずおいしかったです。
周りのお客さんは同じ年頃(20代半ばから30代後半)で、皆さん食事の後はまたどこかに移動して週末の夜を楽しむんだろうなと思いました。ウェイティングスタッフの人達もカジュアルな格好をした若い人達で、私達のテーブルの担当の男性はTシャツにジーンズをずり下げてはいていて、緑系のチェックの模様のパンツのゴム部分には GAPのロゴが見えました。彼はレトロな眼鏡をかけていました。
メニューがなんだか読み易いと思ったら英語と仏語がごちゃまぜでした。例えばChicken Ceazer Salad、Club Sandwich Poulet Bacon、Apple Crumbleなど。スペインの冷たい野菜スープのガスパチョ、イタリアのティラミス、日本の刺身や焼き鳥もあったし各国料理を自由自在に組み合わせてメニューを作っているみたいです。
最終日は北駅でまずミニスーツケースを預けてからユーロスターの時間まで観光していようと思ったのに、近年のテロ攻撃の影響で気軽にぽ~んって荷物を預けられないようになっていました。駅の片隅の1箇所に荷物預け場所はまとめられていて、コインロッカーに辿り着く前に長蛇の列に並んでまずは荷物をセキュリティーチェックの機械に通して貰わないといけないんです。
そんな時間はないので荷物を持ったまま予定通り北駅近くのサン・マルタン運河に向かいました。2年前に来た前回と同じく運河の水音を聞きながら並木の木陰を歩くのは気持ち良かったです。運河沿いにはおしゃれっぽいバーやレストランが並んでいます。「ああ、運河沿いのフラットに住んでみたい。」と思いつつもまるでロンドンのキングス・クロス駅のように治安の悪い北駅に近いのはいまいちだな~と考えていました。
運河からさらに足を伸ばして行ってみたビュット・ショーモン公園はとても素敵な所でした。登り坂だったので公園を歩き回る前にまずは公園前のカフェでビール休憩。公園には子供連れの家族、ボールゲームをして遊ぶ若者達、ピクニックを楽しむ友達同士、またはゆっくりと1人の時間を楽しむ様々な年齢の人達が居ました。平和な光景を見ているだけで幸せな気分になりました。
私は眺望のきく所が好きなのですが、この公園は随分高低差があり、大変ダイナミックなデザインになっていて、滝と池と岩山があります。一番高い所にある東屋からの景色は素晴らしかったです。サクレ・クール寺院が見えました。東屋には数人が腰掛けられる大きさの円形の椅子があったのですが、1才半位のよちよち歩きの女の子がその周りを楽しそうに永遠にくるくる歩き回っていました。香蓮もそういう時期があったなと懐かしく思い出しました。
正午の2分間の黙祷
当日12時直前に昨日の一斉メールを送って来た営業の人を先頭に階段を下りて行くと、途中の階の別の会社からもどんどん人が出てきました。通りには両側に人が並び、ロイヤルメイルの配達の人も車を止めて運転席から出てきました。特に号令も鐘の音もあったわけではないけれど、大体の時間で黙祷は始まりました。近くには建設工事現場があるのですが、そこで使われている重機の音も止まり、車も停車しました。列車は止まったかどうか知らないけど、バスはエンジンも止めたそうです。木曜日の真っ昼間の街中らしからぬかなりの静寂となりました。
亡くなった方達はこの祈りを天国で受け取っているのだろうか、爆発に巻き込まれて心身ともに傷つけられた方達やその家族の方達に私達の気持ちが届いて少しでも回復の助けになりますようにと祈っていました。
ところでこの一斉の沈黙の中、両側を頭を垂れて佇む人に囲まれつつ自転車に乗り続ける人、歩き続ける人が1人づついました。家族が危篤で駆けつける途中というような慌てた様子はなかったし、特に自転車に乗っている人は事情を知らない旅行者という訳ではなさそうなのですが。例え本当に人々が何をしているのか知らなくても普通はとりあえず動きを止めて様子を見ると思うんだけど、どういう心境だったのかな。
レモンケーキ
台所には毎日のようにお茶請けが置いてあります。旅行や出張に行った人のおみやげのチョコレートとか、会社の経費で用意されるビスケットなどです。今日は夏那さんから一斉メールで「台所にケーキがありますよ。」と連絡が来ました。私もお茶を入れた時に大きなタッパーに予め切り分けられて入っていたケーキを一切れ頂きました。これがと~ってもおいしい!適度にしっとりしたスポンジの上には少し厚めのお砂糖がかかっていて、それを噛み締めると甘さとともにレモンの香りと酸味がじゅっと沁み出して来ます。
タッパーに入っていた所からしてこれは夏那さんの手作りに違いないと思って帰りに受付に座っていた彼女に、「ケーキとってもおいしかった、どうもありがとう。手作りなの?そうだったら是非レシピをコピーさせて。」とお願いしました。明日持って来てくれるそうです。楽しみ~。ブラウニーみたいにね、少し深めのオーブンの天板に流し入れて焼くケーキみたいです。私は今まで決してレモン味ファンではなかったけれど、この感動的においしいレモンケーキですっかり転向です。
ついでに夏那さんについて。彼女は受付と総務の仕事をしています。所属は皐月さんと同じ会計部で報告する上司は会計部長の信之介さんです。皐月さんによると、入社当初にはちょっとイジワルされたそうな。電話番号一覧表に皐月さんの名前をわざと載せず彼女の内線番号の隣には「会計」とだけ書いたり、そして備品の注文の請求書の内容で皐月さんが彼女に質問をした時も「そんな事前はやれと言われなかった。」と抵抗されたり。でもそこは皐月さん。めげずに電話の件では「私の名前は皐月であって会計ではありません。」、備品の件では「あなたが知らないと思ったから教えているんです。」と話したそうです。
私はそんな目に遭わなかったので、なんでイジワルされたのかなと皐月さんに聞いたら、たぶん今まで同じ部の中で同僚が居なかったから脅威に感じたんじゃないのと言っていました。そういう物ですかね。でも確かに人間だったら理不尽だけど相性とか好き嫌いが出てしまうのは仕方の無い事かもしれません。でも皐月さんのように毅然としかも冷静に対処できたら相手もそれ以上イジワルは続けないのでしょう。
前の職場でもそれは感じました。自信がない人、気弱な人は知らずにイジメを引き寄せてしまうのかもと。最初の2年間だけ居たたった一人の同僚がそういうタイプで、社長さんからどうも必要以上に責められていました。私は無事なのにどうしてなんだろう、彼女の方が先輩だからより期待されているという事かと思っていけど、彼女が辞めて私一人きりになってからも社長さんが彼女にしたような口調で私に話して来る事はめったにありませんでした。珍しくそういう事があっても社長さんが失恋で傷心中とか仕事が重なってストレスがたまっているなどという理由が透けて見えるので個人的に攻撃されたとは思わないようにしていました。
社長さんは自分で事務所を開いてビジネスをしている位だから気の強い人ではあるけれど決してイジワルな人ではないのに、気の弱い人が側にいると無意識の内にイジメてしまうのかもと分析していました。そう気がついてからも元同僚にはそれを話しても何の慰めにもならないので黙っていましたが。その後そのユダヤ系の元同僚はユダヤ教に傾倒して行き、それがある意味彼女に強さを与えたのか仕事を辞めてイスラエルにユダヤ語を勉強しに行くという思い切った行動に出ました。私の産休中に一時ロンドンに戻って来てフリーランスとして職場に戻って働いたようですが、最後は喧嘩別れの様に辞めて行ってしまったようです。
え~、大分脱線したけれど夏那さんについて。日本では七夕の日に起きた同時多発テロから早くも1週間経ちます。あの日夏那さんは来る事ができないであろうクリーナーに代わってゴミを集める指示をしたり、仕事をしている社員やフリーランサーの代わりに帰宅方法を探るためにインターネットで公共の交通機関の情報を調べてそれを印刷して配ったりとテキパキと仕事をしていました。夏那さんのように会社の本業が円滑に進む様にあれこれ手配してくれる人がいるっていうのはありがたいなと思いました。
家族と過ごす時間、自分のための時間を増やす試み
1つめは勤務時間の変更です。約3週間前に職場にお願いして勤務時間を通常の9時半~5時半から9時~5時に変更して貰いました。必要な時は私も娘を保育園に迎えに行ける様にというのが主な理由なのですが、さらに期待していたのが通勤時間の短縮です。狙い通り、5時半まで働いていた時はラシュアワーのせいで帰宅に平均45分程かかっていたのに、5時に終業するだけで15分も短い30分で帰れる様になりました。5時半に帰宅して一部の家事と夕食作りを始められるようになり、夫が娘を保育園から引き取って帰宅する6時には夕ご飯はほぼ完成です。
2つめの試みは、食料品のオンラインショッピングです。今までは週に2回は仕事帰りにスーパーマーケットに立ち寄っていたのを一切止めることにしたのです。以前もテスコのオンラインショッピングを3ヵ月に1度ほど利用して、缶詰、洗剤、水、コーンフレーク、トイレットぺーパーなど日持ちはするけれど重い物やかさ張る物を中心に配達して貰っていたのです。現在は全体的に少しお値段は高めだけれどスーパーの独自ブランド商品でもおいしいウエイトローズを利用しています。
テスコと違ってウエイトローズは一回に1万5千円の買い物をすると無料で配達してくれます。一回に1万5千円というと随分高いような気もするけれど、今まで週に2回のスーパーでの買い物でそれぞれ5千円づつ位は使っていて、その上足りなくなった物や缶ビールなどを近所のコーナーショップと呼ばれる小売店で買い、2週間に一度ほどは食材不足や疲れのせいで料理が出来ずに4千円ほどかかる出前も取っていた事を考えると、きっと合計金額は変わらないのではと思うのです。そして平日のお昼もこれからはお弁当にして毎日家から持って行こうと思っています。
今はまだ試行錯誤の最中なのですが、注文するものを工夫して一回の注文で1週間持たせたいなと思っています。これまでの所で発見した秘訣は、まず最初の3日分用には肉や葉物野菜などの生鮮食料品を選んで、残りの4日分用には冷凍の魚や肉、根菜、ベーコン、ツナ缶、乾燥麺類を注文します。それに加えて疲れて料理をする気が起こらない日のために冷凍ピザや缶入りスープなどオーブンや電子レンジで暖めるだけで済む物も忘れずに注文するようにします。
過去3回の注文で、日常良く選ぶ食料品や日用品のリストを作りあげてホームページに保存しました。次回からは特売品を見たいとか、通常買わない物を買いたいなどという時以外には、単に保存したリストを呼び出して、まだ家に在庫がある物だけをリストから外して注文のボタンを押せば終わりです。今までは1つ1つ野菜、乳製品、乾物などと項目を追いながら注文していたので実際にスーパーに行くのと変わらない時間がかかっていたけど、これからは一瞬で済むはず。
食事関係での今後の課題はスピードクッキングの研究です。今までもご飯は1週間分まとめて炊いたあと、最初の3日分は冷蔵庫、残りの4日分は小分けして冷凍保存などしていました。これからは下処理に手間がかかる食材をまとめて下ごしらえして冷凍保存する事によっても毎日の夕食の調理時間の短縮を図りたいのです。それと食材の管理方法の改善。台所の棚、冷凍冷蔵庫の中に入れっぱなしで食材を無駄にする事がないように、また在庫がなくなった食材をオンラインショッピングで注文し忘れないようにするシンプルかつ効果的な管理方法を考え中です。最後に自分の料理のレパートリーに飽きて来たので、新しいメニューの開拓もしたいなと思っています。
ロンドンの同時爆破テロ
テムズ河出版はテムズ河に架かるタワーブリッジの南岸にあり、こちら側では爆発は起きませんでしたが、4つの爆発現場の内の1つは対岸のシティーで起きたし、近くに国民医療サービスの総合病院があるせいでしょうか、外から救急車やパトカーのサイレンがひっきりなしに聞こえて来ました。
職場では社員それぞれが家族や友人達の安否を確かめる電話をしていました。家は娘の香蓮は学校で歌の発表会、夫の透はそれを観に行っていたので大丈夫でした。時間から言ってまだ出勤し始めて居ないだろうと分かっていても実際に携帯に電話して連絡が取れるまでは心配でした。透は勤め先からも携帯電話に連絡が入り、今日はもう出勤しなくてよろしいと言われたそうです。私は職場ではいつもインスタントメッセージサービスをオンにしているので、早朝から起床してコンピューターを使っている日本の父には、ロンドンで発生した爆弾テロが日本でニュースになる前に事件発生と全員の無事とを知らせる事ができました。
普通の電話は大丈夫でしたが、携帯電話は一時繋がりにくくなったようです。インターネットのテレビ局や新聞社のページも一時アクセスが集中し過ぎたためか開きにくくなっていました。職場にテレビはないのですが、インターネットとラジオでニュースを追っていました。トニー・ブレア首相のスピーチがラジオで中継された時は一部の社員はラジオの周りに集まって聞き入っていました。何だか気持ちが落ち着かず仕事に集中するのが大変でした。途中で一平太からの指示で、コンセプトワークから別の機械的な作業の仕事を先にする事になりほっとしました。
ところで一平太さんは全然動じずにクールに仕事を続けていて誰とも連絡を取り合っていない様子でした。それとは対照的にプロダクション部の絵奈さんの所には家族からじゃんじゃん電話がかかって来て「仕事にならない!」と、家族の勧めに従って午後2時過ぎには家路につく事にしました。それを皮切りに会社も「皆必要に応じて早退してよろしい。」と許可を出したので、遠くに住む社員から次々と退社して行きました。そしてとうとう一平太さんにも心配したお母様から電話があったようです。彼は会議に出ていたので後から電話をかけ直していました。ブラジル出身のデザイナーの初音さんにもサン・パウロに住むお母様から電話があったそうです。心配するお母様に、「お母さん、はっきり言って毎晩の様に通りで銃撃事件が起きるサン・パウロの方がよっぽど危ない。」と言い返したそうです。
私は会社と同じ区内に住んでいるのだけど、15分早く退社しました。普段から地下鉄は使わないのですが、その運休のせいで、いつものバスは満員で乗れず、家まで45分かけて歩いて帰りました。たいした距離じゃないからぶっつけ本番でも道に迷うなどという事はなかったでしょうが、以前に試しに一度歩いて帰宅しておいて良かったと思いました。家族にも自宅には何時頃に到着するよと伝える事ができたし。
家に着いてからメールをチェックすると、日本から心配したお友達からのメールが来ていたので無事を知らせる返事を書きました。自宅の上空を飛ぶ報道機関のヘリコプターの音を聞きながら。対岸に第二のシティーと呼ばれる高層ビルの金融街があるので、そこで働く大勢の人達の帰宅の様子をテレビで中継していたのです。今日は特別にリバーボートが無料になっているので他に交通手段のない人達が長蛇の列を作って順番待ちをしていました。
この時刻になると事件の全容が大分明らかになってきて、テレビで爆発を目撃した人の証言やビデオフォンで撮影された現場の映像などを見ていると、絵奈さんのご家族や一平太さんのお母様の動揺ぶりが理解できました。でも全体的にはロンドンはIRAの爆弾テロに長年苦しんで来た経験があるし、こういう攻撃はいつかは起きると誰もが予想していたので割と落ち着いた反応をしています。これは意外な副産物ですが、普段から公共の交通機関はストライキ、または事故のせいで全面運休の経験も数えきれないほどあるので、テロが起きた時刻には大部分の勤め人が出社していましたが、帰りも大混乱を起こす事もなく以前に経験した全面運休時のように、一部動いている交通機関を乗り継ぐか歩ける所は歩いて黙々と帰宅していました。
さすがに夕食とその片付けを終えた午後8時には上空は静かになりました。昨日の2012年のオリンピックゲームの開催が決まってお祭り気分で明けた今日、このようなテロに見舞われて街の雰囲気も一変して沈痛な表情です。それでもまた明日から、ロンドンの人達はテロに負けず出来るだけ日常通り暮らそうとすると思います。犠牲になった方の遺族の方の悲しみ、怪我をしてい入院している方々の痛みにを思いを馳せつつも、私達も香蓮のためにもできるだけ普通に生活したいと思っています。
2012年夏季五輪ロンドン開催決定に対する反応
結果発表予定時刻の12時45分にbbc.co.ukやsky.comにアクセスしようとしたのですが、アクセスが集中しているのかなかなかページが開かず、「それなら当事国ではない日本の新聞社のページならどうかな。」と試そうとしている所で巌さんが「やったぞ、ロンドンがオリンピックゲーム開催の権利を勝ち取った!」と言っているのが耳に入りました。わ~い!
イギリスにはこういった特別イベントに対して結構シニカルな反応をする人も多いのですが、プロダクション部の史彦さんはまるでその代表のように「げ~っ、ロンドンに決まっちゃったよ。税金の無駄遣い。最悪。」との感想を漏らしました。同じくプロダクション部の絵奈さんが「最悪ってなんで?私達に関係ある?」と聞くと、向かいに座っているデザイン部の蒼哉さんが「あ~、ロンドンの住民税が上がるとか?」と答えました。確かにオリンピックゲーム開催のためには、ロンドンの各家庭で1年間に4千円程度住民税の負担増になるとの予測を朝のニュースで聞きました。
ロンドンの招致案によると貧困に苦しむ東ロンドンを再開発して五輪公園を作り、そこに建設される競技施設や選手村はゲーム終了後もスポーツ振興に役立てられるそうです。またロンドンの交通機関は現在酷い状態ですが、それもオリンピック開催に向けて運営の仕方が改善され、施設その物の質も向上するでしょう。骨の髄までスポーツに全く関心がない人でもより良い公共交通機関の恩恵に預かれるし、何よりもスポーツ施設が特に次世代の人々の心身の成長や健康向上に役立つのだから良いじゃないかと私は思います。
「そんな特別イベントに大切な税金を使う位なら、教育や福祉の分野で他にやる事が山ほどあるじゃないか。」という意見もあります。でも古代からどの文明、文化でも必ずお祭りの様な物はありますよね。やっぱり国全体で一緒に日常を忘れて夢を見られる瞬間を持つ事も重要だと思います。でもまあ、『ギリシャ悲劇』と言われる様に2004年に開催されたアテネでの夏季五輪のように大赤字に終わらないように注意はしなくてはならないでしょう。黒字にできたら国民のムード高揚に役立ち、経済効果も出て一石二鳥ですね。
史彦さんは「巌さんはこのロンドン夏季五輪の開催のニュースを聞いて喜んでいるのは、これをまたビジネスチャンスと捉えているせいだよ。」とも言っていました。確かに『2012年オリンピックガイド』など関連書物を作ったら売れるかも知れません。さっそくその様な内容の電話をあちこちにかけているようでもありました。でも本がよく売れて会社の利益が上がったら社員の給料にも反映されるかも知れないのになぜ史彦さんは文句を言うのかと思いました。たぶん「忙しくなって嫌だ。」という事でしょうか、それとも単に「巌さんの事が嫌い。」なのかな。
それにしても2012年は結構先ですね。それともあっという間に開会式の日が来てしまうのでしょうか。その頃自分と家族はどんな風になっていてこの2005年の夏をどのように思い出すのでしょうか。私と夫は41才、娘は11才になっている、生きていればそれだけは確実ですね。私はフリーランスから正社員になってテムズ河出版でまだ働いているのかな。そうだとしたら勤続丸7年で、「あの、オリンピック開催が決まった年からここで働いているのよね~。そろそろ転職時か・・・。」なんて考えているでしょうか。
最後に蛇足ですが、逆に今から7年前の夏を振り返って見ると、デザインカレッジを卒業、その翌日7人のハウスシェアから婚約者と2人だけのフラットに引っ越し、さらにその翌日の7月18日にロンドンのマリルボーン登記所で結婚と個人的イベントが盛りだくさんでした。さすがにあっという間とは言わないけれどそんなに大昔の事とも感じられないです。
病欠
翌朝の月曜日、香蓮は元気に保育園に行きましたが私と夫は職場に病欠の電話をしました。テムズ河出版では4人いるデザイナーの内、一平太さんと初音さんは事前に有給休暇を予約していたので、私が抜けたら蒼哉さんは1人っきりです。しかも締め切りのプロジェクトもあるのに。でもとてもこの状態では働けないので休ませて下さいと連絡しました。
こんな朝にはお粥に佃煮を少し、またはうどんに野菜をちょっと加えた物など、とにかくおなかに優しい油気のないあっさりした物が食べたいですよね。日本人としては。ちなみに透は病み上がりにはステーキやハンバーグを食べたいのだそうです。嗜好の違い、食習慣の違いと言えばそれまでですが私には考えられない。こんな時に限ってちょうどお米もうどんも切らしていて仕方なくバナナ1本とバターとジャムを付けたトーストを1枚、水で飲み込む様にしてなんとか食べました。水分補給には気を使って夜中からずっとお水だけはたくさん飲んでいましたが、日中はミルクティーすら飲む気がしなくてお茶は日本茶だけ飲んでいました。
透は昼過ぎには元気になってきたというのに私は相変わらず起き上がると気持ち悪くなるのでベッドに寝たきり。夕方にはさすがに空腹を感じだしたので、保育園のお迎えのついでに透に中華料理屋さんからチャーハンを持ち帰りして貰いました。どうしても「ご飯が食べたい・・・。」と思って。吐き気は大分収まり夕食にチャーハンとデザートにメロンまで食べられたものの、夜には腰痛と関節痛に加えて微熱まで出て来て一体明日は出社できるのかと不安になってしまいました。結局10時頃ようやく眠りに落ちた後はほとんど夜中に起き出す事もなく済んだのですが。
翌日朝の9時前に出社したら私が一番乗りで、二番目に着いた巌さんは、普段はおはようとしか言わない人なのですが、「大丈夫かい?」と声をかけて下さいました。皐月さんも「気分はどう?携帯のメッセージ受け取った?」と。携帯電話の事などすっかり忘れていました。さっそく見てみたらメッセージ来ていました。その後向かいの席の沙弥子さんからは「調子はどう?昨日は蒼哉さんがたった1人でデザイナーのキュービクルに座っていて寂しそうだったわよ。」と聞きました。
蒼哉さんによると、結局昨日が締め切りだったプロジェクトは仕事を終了させるのに必要な情報の一部がまだ顧客側から届いていなくて結局まだ連絡待ちの状態という事でした。私の欠勤は仕事の進み具合に影響を与えないで済んだ様です。それにしてもこの職場でフリーランスとして働いている私の病欠の場合の給料の扱いについては何の取り決めもないのですが。一日で済んだからそれはあり得る事としてそのまま織り込まれるのかしら。最悪でも有給休暇を病欠日に当てさせて貰えるかな。
さて、今回の教訓は「誰かが具合が悪くなったり吐いたりしたら直ぐにコップの共有を止める。」と「吐瀉物を片付けた後は手を良~く洗う。」ですね。家はお風呂場の歯を磨いた後に口をゆすぐのに使うコップを共用しているのです。自分達がゲ~ゲ~吐き始めてからは直ぐにコップを分けたけれど、最初に香蓮が吐いた時直ぐ彼女専用のコップを用意するべきでした。2番目の手洗いはもちろん励行していたけどさらに気をつけるという事です。マスク着用は・・・とも思ったけどきっとあまり意味は無いですよね。第一イギリスの普通の薬局じゃ売っていないだろうし。
わざと、事故、それとも緊張感の欠如?
最近のジーンズなどの女性用のボトムスはどれもローライズだからおなかや腰を全開にして歩いている人はそこら中に居るし、きれいな色の飾り付きの紐パンツをわざと見せながら履いている人も多いのでそういう光景にはもう慣れたつもりでいました。でも職場での遭遇は不意打ちでした。日本で40代半ばの部長さんがこの服装はしないよな~、さすがイギリスとちょっと感慨深かったです。
ところで「これはわざと見せているのね。」とはっきり分かるケースは良いのですが、たまに「これは事故だろうか、それとももう完全に緊張感が無くなってこうなってしまったんだろうか。」と判断に迷うケースも多々あるのですよ。それどころか悪い物を見てしまったと感じさせられる時も。
例えば先日ATMの行列で前に立っていた女性。只でさえローライズのデニムのスカートが少し大き過ぎる様でお尻にひっかかりようやく落ちずにいる状態。見えているのは元は白だったはずの薄汚れたグレーの化繊のぶかぶかパンツ。出来れば見ずに済ませたかった代物でした。ごく普通の保守的な感じの中年の女性がベージュとか白のパンツを見せて歩いている時も「これは・・・」と思います。
男性でもジーンズをわざとずり下ろして履いている人はたくさんいます。特にアフロ・カリビアン系の人に人気なファッション(ヒップ・ホップ系?)だと、ずり下がり方も半端じゃないです。カルバン・クラインのロゴ入りパンツを見せながら歩いたりするこのファッションが街に溢れ出したのは何時からだったかな。10年以上前かな。息の長い流行です。
学生インターン
夫の会社の人達に会った一番最近の機会は2004年のクリスマスディナーです。それは去年の12月ではなくてなんと今年の3月に行われました。クリスマスの時期に仕事が立て込んでいたため延期になったらしいのですが、社長さんがシーズン中は予約を取るのが難しく値段も高いレストランでの食事を避けたかったのだ、という説も社員の間では流れていたようです。
それはともかく、運良く香蓮のお守りが手配できたので夫婦で出席しました。今回のハイライトは勉さんでした。勉さんは実家から大学に通っていますが、半年程休学して夫の勤める会社でインターンをしています。黒い髪に、黒い瞳、浅黒い肌で白い歯がキラリとエキゾチックな風貌で素敵!お母様がインドの方なのだそうですが、インド系というよりギリシャなど地中海岸系の顔立ちに見えます。
ディナーの後で夫に「勉さんってかっこいいね~、あんな人が隣で働いていたら良い目の保養だよね。」と言うと「とんでもない。」と言うのです。夫曰く勉さんは落ち着きが無くて行動が子供っぽくて隣にいると疲れてしまうのだそうです。例えば職場にチョコレートの詰め合わせの差し入れがあると、その缶はチョコレート中毒の夫と勉さんの間に置かれて瞬く間に減って行くのだそうですが、勉さんはすぐ興奮状態になるので迷惑なのだそうです。
たまに居ますよね、そういう子供。普段はお行儀が良いのにコーラを飲み過ぎたりチョコレートを食べ過ぎたりすると、カフェインのせいと言うよりおそらく砂糖のせいでハイになるという。急に饒舌になったりはしゃいで動き回ったり夜に眠れなくなったりしてしまうんですよね。夫は仕事している隣で勉さんにそれをやられると集中出来ないと文句を言っています。
そういえば前に彼の持って来るお弁当の内容が話題になった事がありました。勉さんが恐らくお母様に用意して貰っているお弁当は典型的なイギリスの小学生のお弁当の内容と同じなんです。サンドイッチ2切れ、バナナかリンゴ1個、ポテトチップスの小袋1つ、チョコレートバー1本、パックジュース1個といった感じです。勉さんのお母様は過去15、6年間それを用意し続けていらっしゃるのですね、きっと。
と、そこで思いあたったのです。21才の勉さんは私達の4才の娘とは17才違い、34才の私達とは13才違いです。一応娘よりは私達に近いという計算ですが、娘は私が30才の時に生まれ、第一子としてはたぶん平均より少し遅いです。もし娘が私が26才の時に生まれていたとしたら現在は8才のはずで勉さんとの年の差は13才、勉さんは公式にちょうど私達と娘の中間の年と言う事になります。これは結構ショック。でもあと5、6年もしたら20才前後の人は子供である可能性も十分にありえる計算になるんですよね。