テムズ河の潮汐を眺めつつ -2ページ目

忙しい1日の末にどん底に突き落とされる

正月の2日の朝に救急部門を訪ねて即入院になったのがもう9日前。今日お風呂の許可が出て嬉しかった。その間に体の清拭ももちろんあったけど、何度も発熱で肌着や髪が汗でグッショリになってたので。

次は前日リサーチした場所へレントゲン治療をして貰った。ガラスのテーブルは居心地悪くそれ以外は肌がヒリヒリとかもない。少しでも早めに良い効果が出ると良い。

朝9時から昼12時半までに下痢が3回。4回目の後には今度はバー、バー、バーと吐瀉。その30分位後にまた吐瀉。下痢は更に数回続く。3度目の吐瀉はなし。

午後3時頃からベッドで血小板のみの輸血を受けた。血が凝固し辛くなっているにで胸に溜まってる水を抜くのも危険なのだそう。

午後4時過ぎには家族が到着した。またねぶた美術館、カラオケ、買い物してたんだって。

Aさんと透で帰国への新たな問題を克服しようとしていた。Aさんはエアフランスと私達と看護師Iさんと3時間半とかしゃべっていたはず。
  問題は胸に溜まった水で通常の針を刺して抜く方法は血小板の値が減少している私には危険。
  3日程前から毎時2リットルの酸素を摂取している。エアフランスでは3リットル以上の摂取には看護師を手配する必要があるって。締切近いしこの病院には呼吸器専門の先生がいない。私がどう反応するか予測しがたい。
  午後8時から主治医のW先生が到着し「やはり長距離の飛行機移動は無理でしょう。もちろん船も時間がかかり過ぎる。ハッキリと今後の余命について見立てて良いですか?1ヶ月ほどでしょう。」て。話が前から急に変わったね。でも鎮痛剤で起きていられない。みんな12日を目指して来たので何とか帰るのが私達の希望だ。

麻薬の効果

発熱のパターンが見えて来た。夕食の午後6時頃にビューっと38度に上がる。直ぐに複数のアイスノンと薬を併用するとも、消灯時の歯磨きやオムツの交換時も上がったまま。
  熱の他にはかぜの症状としては少しの咳だけ。連用しているカップの中でバクテリアが育っているのかもと心配になり交換して貰った。抗生物質は今3種類目位かも。

コルセットが完成!でもまだ骨が専門の先生に仕上がりぶりを見て貰ってない。「CT検査に行く時にコルセットを付けて車椅子に乗る練習をしましょうね。」も実現していない。看護師さんがそれぞれ明日できるようにしてくれるって。
  朝に採血したら血小板の数値が低いそうなので明日に成分輸血を受ける必要があるそう。同意書に署名をした。

この日はちらっとスマホでラジオのポッドキャストを楽しんだりツイッターを読んだりした。これは回復の兆し、娯楽に興味がでるなんて。

引き続きロンドンに戻る具体的な方策をAさんと透の間で話していた。私は病院の書類を確認してた。退院当日にも料金は上がりがちなそうなので札幌の実家に請求書を送って貰って預けたお金から払って貰う。高額請求を事前に回避する(?)カードも事前に母が市役所で発行して持って来てくれてて助かった。

 妹は到着早々に郵便局までお使いに行って、今日もコルセットのメタルが肌に触れるのを防ぐ為に下敷きにする為のタオルの購入してくれた。ありがとうね。母と一緒にやめろと言われても雪山に突っ込んで行く昔の私にそっくりの響の動きも面白かった。母、妹と涙のお別れ。暫しの、ね。

先週の今頃は「私はこのまま逝ってしまうのか?」と思ったが昨日辺りから大分回復して来た。
  たまたま飛び込んだこの青森の病院の救急外来のスタッフの方達、胃消化器の先生、骨の先生、放射線外来の先生、看護師さん達、検査技師さん達、緩和ケアの看護師さん達がみんな優しかった。北海道と似たイントネーションもあって。『しゃっこい』って言葉を覚えた。
  ロンドンの青森県人会のメンバー資格がゆかりのある人みたいに緩かったら申請しちゃおうかな。

痛みが治まるのが1番とすがる気持ちだったので副作用まで考えていなかった。でも考えてみれば以下の変化があった。
  夢だったか現実だったの識別に多少の時間がかかる。浅い眠りの時に同室にいる人の存在感が強い。眠っていなくても目を閉じるとオシャレなグラフィックに切り替わる。一昨日辺りはピキピキと主にグリーンの線を誰かが加工して解像度を下げてテクスチャーを加えたBGDに引いた感じだったエグい内容の映画の予告編みたいのも大量に見られる。
  面白いけどいづれも中毒になる危険を侵してまでは見なくていいや。

放射線科の先生との面談

昨日採寸したばかりコルセットの仮縫い品が仕上がったので試着した。そのコルセット自体に担当の方がシャカシャカと修正点を直接記入していた。コルセットが完成したら短時間立ち上がってトイレを使ったり車椅子を使ったり出来る。

父が午前中に子ども達をスケート場に引率してくれた。香蓮は去年9ヶ月間レッスンに通った成果を発表できて嬉しかったようだ。スピンとか後ろ滑りとか。
  響はお決まりの」『妖怪パニック壁男』に変身!人間に戻ってからは上達したって。父もせっかく持ってきたカメラの被写体が増えて良かった。
  母と妹が飛行機で青森入りし、病院には12時半の到着だった。入れ替わりに午後2時前に父が電車で札幌にもどった。

その後待望の放射線科の先生との面談があった。明日CT検査をしてどこにするか確定したら10日に1回だけの照射をする。殆どの人に効くが即効性は余りなく数日かかるそう。それでも私はパッと楽になっちゃうタイプかもよ〜。

子ども達と透が病院を出る前に折り紙製の花束と手作りカードを貰った。3日間ベッドの足元や共有多目的室で作業していたんだって。仰向けに寝たきりで見えてなかった、なんか学校の課題をしてると思っていた。気持ちが嬉しいしその完成度の高さにも感激。花や鳥の配置の仕方がいけばなっぽい。

昨晩は青森駅の向こうの海を見渡すアメリ風のバーガーダイナーで食事したんだって。

コルセットの採寸

夜中に粉状の麻酔を足さないとずっと背中が痛い。これまでは夜は睡眠薬で眠らせてくれたけどこれからは帰国に向けて取りやめ。

朝食直後にコルセットの業者さんが登場して採寸をして行かれた。2日後の水曜日に仕上げる為に明日の朝に調整の為に戻られるそう。

Aさんとも話していたのだが、この病院のスタッフの方達は親切だ。私は『なんのお付き合いもコネもない野良患者』として相手にされてなかった可能性も大なのに。
  Aさんを中心に帰国計画は更に進み、 今日はこちらでやったレントゲンやCT検査の画像を一足先にイギリスの主治医に送った。


そこにピンクの花束が届いた!イギリスのご近所のママ友さん達からだ。かわいらしくも豪華な花束で目に入る度に明るい気持ちになる。ありがとう!

相変わらず熱は出たり下がったり、でもお通じはこの日も順調。Aさん頂いた甘酒がきっとそれに関連しているに違いない。夕食で久しぶりに食欲を覚えた!

なぜか昨日から血流の酸素の量が少ないと取り付けられているのも明日辺りに取れるかも。こちらの内科消化器科の主治医のW先生と放射線科の先生とのお話もあるD−DAYだ。

入院以来初めてまともな食欲の兆し、便通と痛みもコントロールされて、脆くなっている背骨もコルセットで守られるから常に真っ直ぐ横になって居なくても良い。これは行けるのではないかと思う!

実際的な手助け

札幌から列車で父が昼過ぎに現地入りした。雪で新千歳空港が閉鎖になり旅行者が殺到したそう。新幹線も一部しか座れなかったと言っていたような。老体にムチ打って来てくれてありがとう。
  その2時間程後に今度は東京から新幹線に乗ってAさんが来てくれた。
  息切れしがちなので耳の遠い父に大声で何度も同じ事を言ったり、先ずは透に英語で次に同じ内容を父に日本語で説明するとなると地味にでも確実に体力を消耗してしまう。
  そんな状態に来てくれたAさんは正に神様からのお使い。Aさんは私の高校時代の友人のかわいいい妹ちゃんだった。初めて会った時は彼女はまだ小学生の高学年で。
  その後エディター、ライターとして日本で働き始めてロンドンで2000年過ぎに合流した。響は小さ過ぎて記憶がないらしいぇれども、香蓮はたっぷり遊んで貰ったのを覚えてないる。
  その後Aちゃんはシンガポール勤務も経験して語学力と仕事力を向上させていた。  
  私はsちゃんAさん姉妹と一番キラキラしている20代の時を過ごせて楽しかったな。まあ、人それぞれタイプというものがあるけど、どうやら香蓮はsちゃんAちゃんタイプ。2人をお手本に物怖じせず新しい環境に入ってもそれを刺激に成長して行って欲しい。

Aさんが2日間『弥生をロンドンに返す』プロジェクトに邁進してくれたお陰で、どうやって青森から東京まで移動するか、東京駅からプライベート救急車で羽田空港までの移動、痛み止め麻薬を持って搭乗する下準備、エアラインの席まで車椅子が使えるプランの申し込み等々の諸手続きの全容が見えて来た。
  看護師や医師や薬剤師、大使館や航空会社、透と私の父ともコミュニケーションを取る必要がある正にフルタイム並みのお仕事だった。ありがとう!

お通じ

透と子ども達が朝の9時頃来てくれた。私と透は相変わらず熱が乱高下。響は初日はずっと泣いてたけれど今日辺りはもう大丈夫で姉弟ゲンカもしている。

この日は新情報は殆どない。透も熱を乗り越えたので青森駅近くのイマイチな青森料理屋で食事した後に、タバコの煙が昭和な風情のでも店員さんが親切なボーリング場であそんだのだそう。

私的ラッキーニュースでは、夕ご飯の後にうつらうつらしていたら大量のがすが出た事。その後ガスがちょろっとが2回、絶対に本体が出たでも見てみると違った2回の末にとうとう来た〜!朝までに5回。おなかの張りが大分楽になった。



イギリスに戻る為にどうするか

胃消化器専門のお医者さんの指示で今度は造影剤無しで背骨全部のCT検査とレントゲン検査をした結果、背骨全部にがんの転移が見つかった。12月の第3週の時点のCT検査では右の骨盤と背骨のT4のみって見立てだったのに。胸にも少し水が溜まっているそう。

なんでこんなに辛いのか分かった。入院以来の導尿とオムツはそのままで、ベッドの角度もつけ過ぎちゃダメ、歩行禁止にもなった。12日にイギリスに帰る事を目標に痛み止めの量と種類を調整する。麻薬を持って搭乗できるかも要確認。帰りはプレミアムエコノミーを予約してるけど更にアップグレードが居るだろう。空港で車椅子の手配も要る。イギリスの主治医にも連絡して入院の手続きを取らなくては。終末期医療の病院の事もある。

おなかが貼って痛い。殆ど食べてない。なのに食後に吐いた。今日はずっと37度3分から38度9分の熱があり夕食前に抗生物質の点滴を受けたせい?昼に試した下剤は効かず。でも消灯後の一眠りの間にガスは出た。

これからどうするか病院の中で2つ違う意見があり両方聞いたけど具合いが悪くて検討、両親への相談も出来ず。

背中、腰、胃、腹痛で夜まともに寝られず

寝返りも痛くて叫んでしまう。各種痛み止めを飲んだ後30-60分は眠れるだけ。椅子に座って枕をデスクの上に抱えて眠る等の工夫も意味ない。痛み止めのせいでおなかも張って痛い。こんな痛くて不安な夜は過ごせない。

ネットで検索して小さ過ぎない救急病院を探して電話してから出かけた。問診、造影剤を使ったCT検査、血液検査、レントゲン検査の後にそのまま入院が決まった。検査で仰向けになる度に痛くて叫んでしまう。直ぐに粉状のや錠剤の麻薬を摂取、点滴での痛み止めも落として貰った。

食欲は無いけど一口ずつたべた。夜はおなかが張ったり痛みがあると対処して貰える。日中は子ども達だけでねぶた館その他を観光し夕方からは透と合流して夕ご飯。

函館を素通りして青森へ

夜中に2回痛みで目が覚めた。
午前5時半過ぎには眠りに戻るのを諦めた。こんなに痛くて不自由で日本滞在を続けられるのだろうか。現在の民泊を延長してスキャンでも撮って貰おうか。でもいきなり放射線治療は無理っぽい。ならせめて痛み止めの注射だけでも受けられないか。
  昨日に引き続き靴を履くのもコートやマフラーを身につけるのも家族の助けを借りた。自分のバッグさえ持てずにタクシーを降りて改札口に行くのもゆっくりしか歩けずすぐに息が切れる。先週より確実に状態が悪い。函館行きの電車に乗って2時間経った所から胃がチクチクと一瞬息が止まる位痛い。背中も痛い。札幌に引き返して病院に行って帰りの飛行機の切符を買う?
  函館観光辞めてまっすぐ新青森のホテルへ。30分の在来線は待たずタクシーで行った。家族がお昼を買いに行っている間に昼寝。身体中が痛いし食欲もないが外食へ。2日って貸し切りのレストランが多いのね。なんとか大戸屋に入り私は具沢山の味噌汁だけ頼んだらこれが私を大分元気にしてくれた。これからお風呂に入って明日の観光の予定を建てる。食事って大事だね。

2019年お正月

翌日の朝から東北旅行だ。発熱が漸く治った。それなのに夜中の間に新しい痛みが始まった。胸の真ん中の痛みが殆ど消えたと思ったらそれが背中側に移ったみたい!腰の痛みは仰向けにならないとズキーンと来ない、更には枕を高くすれば肩も痛くならないと学習して3日位なのに。新たな痛みは体を横にしても消えない。

昨日食べきれなかったご馳走を食べに両親の所に午後4時に行く約束だったのに昼過ぎから頑張っても荷造りが終わらない。背中がグキッとなるから手を伸ばせないし物を拾えないし洋服を畳むのも一苦労。漸く6時半過ぎに行けて父の手打ち蕎麦、焼きそば、カニの味噌汁を頂いた。昔のアルバムを出して貰って見てからお別れ。本当はアルバムも業者に出してデータ化したかったけど寝込んでてそれどころじゃなかった。
  帰り際また大量のお小遣い。叔母にも沢山貰って。もし早目にイギリスに戻る羽目になった時に使わせて貰う。